2年前の話。
息子の高校受験の時は、親としてはやっぱり色々な感情を味わいました。
日常のなかでカタルシスなんて言葉を当てはめたことはなかったけど、
これがそうなんじゃないかなと思って書いてみたくなったので。
それは息子が通う学習塾の三者面談でのことでした。
時期もちょうど2年前の今頃。
現状の成績では希望する学校(希望する科)はちょっと厳しい感じだよ。
他のところも選択肢に入れてはどうか?
と塾の先生の話が始まりました。
息子は、頷きながら話を聞いていましたが、志望校は変えないでいきたいと
割とはっきり答えていました。
では、英語と数学をもっと伸ばさないといけないよ。
国語はこれだけできるのだから、できるはずなんだけどな。
何でこんなに出来具合に差があるの?
息子は今度ははっきり答えられず、
返事に困っていました。
「お母さん、前からですか?」と今度は私が聞かれました。
私は、
「はい、小学校からずっとそうです。
勉強は基本的にしません。
本を読むのが好きで国語も社会もそこからの知識だと思います。
興味のあるもの、得意なことを伸ばせば良いと思っていましたが、
彼がこの高校受験を選んで苦労しているのを見ると少し反省しています。」
と正直な気持ちを話しました。
すると、先生から思いもかけない言葉が返ってきました。
「お母さん、
国語力の高さは才能なんです。
勉強したからといって、そう簡単にできるようにはなりません。
生まれてから今までのコミュニケーションの結果なんです。
私には具体的にお二人のやり取りは分からないけれど、
大切に育てられたということは良く分かります。」
先生は息子にも言ってくださいました。
「自分が進みたいと思う方向に間違いはない。
もし、向いてないと思えば方向を変えればいい。
向いてないと分かることは大事なこと。
もう、親は関係ない。
自分で決めて、考えて、やるしかない。」
息子はうんうん、と応えていたふうだったので、表情をうかがうと
あちらもこっちを見ていました。
学校ではなかなか理解してもらえなかったこと、
信じてきたことをあっさりと認めてもらえて、
無我夢中でやってきたことを大切に育ててきたということだと言ってもらえて、
一瞬にして脱力が起こって、もうその後は何も言えなくなってしまいました。
この面談で親子の高校受験のモヤモヤは一気に浄化されたのでした。
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